●「野暮」と「粋」
昔から日本人は抽象的な概念を表現する繊細な心をもっている。恐らくこれらの感覚を外国人に説明するには難しいかもしれないが、ひょっとするといまの日本人にとっても、日常から消えつつあリ,意識する機会が無いような気がする。
最近、その中で納得した言葉に、「粋」がある。私だってほとんど使わない。でも理解できるなら、物事にたいして少しは真剣になれるような気がしている。
恐らく誰もが某かの習い事やスポーツをやられていると思うから、すでに経験されていて良くわかると思うが、そこには必ず「形」と云うか「技術」がある。そういった「技(わざ)」を会得するには多くの時間や努力を要するが、その「技」の使い方が「粋」と「野暮」を分けている。「技」が「技」であるときは「野暮」になり、「技」が表から消えたとき「粋」になる。名人と云われる人たちが創作したものには必ず「技」が潜んでいて「粋」と云う言葉が当てはまる。何やら分けが分からない事を云っているかもしれないが,音楽の世界でたとえてみれば、難曲であるにもかかわらず、いとも簡単に演奏しているマエストロの姿だったり、絵画の世界なら巨匠が描いた絵を見て自分でも描けそなうな気分に錯覚させられる事が「粋」である。技術をひけらかしたり、技術が未熟であったりする事は「野暮」な事なのである。
芸事に通じる者にとって「粋な人」といわれれば、仕事名利に尽きるだろう。納得できますかな?

